数か月全く更新せず。三日坊主もいいところですが、再開します。
取り敢えず、地震のことは記録しておこう。
1.地震にあったとき、どこにいたか
・そのとき、恵比寿駅至近の職場(ビルの18階)にいました。
今まで味わったことのない長さだなと思いきや、揺れの大きさも初体験レベルに。
成人男子4~5人ぐらいでないと動かないような会議室の大机が、いとも簡単に
右に左にと揺れ動くさまを見て、「地震の時は机の下に隠れろ」というなどという
常識(?)が全く通用しないことを知りました。
・ちょっと紛糾気味の会議だったのですが、一旦地震が収まった時点で、妙な一体感が
芽生えていました。ただし、会議の結論は出ず仕舞い。
・会議室から自分のデスクに戻って、情報収集と状況確認をしつつ、窓の外に目を
向けると、南方面遠方から黒煙が・・・
その後、今度は東方面遠方のビルの隙間からも炎が立上る様が見えました。
(おそらく、TVで中継していた千葉の石油タンクの火災。)
子供のころ見た、ウルトラマンシリーズで怪獣がコンビナートで暴れるシーンと
重なりました。なんたる非日常。しかし現実!
・この段階で「尋常ではない」と再認識。
2.どうやって帰ったか
・早々に、会社に泊まり込みを決める人が多かったのですが、自宅が高層マンションの
結構高い階だったので、家財の状況が気になってしまい、帰れるなら帰ろうと決め
ました。
独身なので、身内の心配をしなくても良かったのがせめてもの救い。
こういうときに家族と連絡取れないと、不安でしょうね。
・会社を出た時点ではあまり情報収集できておらず、「歩きながら考える」という
今考えると結構無謀な方針で臨みました。
・以下が経路と、その間の状況です。
◎17時半頃
職場の階段を歩いて降りる。避難ではないので、人はまばら。
低層階に降りるにつれ、壁面にヒビが入ったり、コンクリートが剥げたり
と、地震の爪痕が見えてきた。
昔、「物理学上、ビルは下から1/3のところで折れる」と聞いたことが
あったのを思い出し、妙に納得。
(↑事実かどうかは知りません。)
◎18時前
恵比寿のアトレの2階にJR恵比寿駅の入口があるが、当然ながら
「運転再開の目途立たず」という状況。
そのまま、恵比寿駅西口から地下鉄日比谷線の入口あたりに出てみると、
人の波。みなさん歩くつもりらしい。
◎18時頃
駒沢通りを西に歩き始めると、渋滞の車道をバスが走っていた。
バス停にも人が長蛇の列。
「お?バスは走ってる??」
◎18時すぎ
一か八か、バスで行けるところまで行ってみることに。
たまたま、目の前に田町行きのバス停があったので、取りあえず
並んだら、3本ほど待ってようやく乗れた。
今考えればもっと効率の良いルートがあったかもしれないが、
結果オーライ。
当然ながら、バスの中は息が詰まるような混み方。
車窓から外を見ると、恵比寿近辺の飲み屋は軒並み満員状態。
気持はわかる。
渋滞のせいでとにかく遅い。
混んでるせいもあり、体感時間は相当長かった。
白金あたりで、JR高輪駅を目指すひとが結構降りていた。
結局JRは動いていなかったはずだが・・・
◎19時頃?
田町に到着。JRは動いておらず。三田線もダメ。
地下鉄は、地上の入口に運行状況を掲示しておくべきである。
いちいち、下に降りて確認しないといけない状況は、こういう時だけに
イライラした。
止むを得ず山手線沿いに歩くことに決定。
田町周辺を歩くのは初めてだったので、方角が良くわからない。
1/2の確率だと割り切り、思った方向に歩きはじめたら、程なく「銀座」
方面を指す道路標識があった。
間違ってはいなかった。
◎20時頃?
浜松町あたりで海岸通りに抜け、首都高の下を歩き続ける。
体力の無さを痛感。
ここまで徒歩の人の群れに入り込むと、遠足でもしているかのような
錯覚。不謹慎だが、半笑いしてしまった。
汐留あたりでJRの運行状況を再確認。
動く気配が無いので、そのまま築地を抜け、都営大江戸線沿いを歩く
ことに。
◎20時20分
大江戸線の築地市場駅で運行状況を確認。
改札まで行かないと、なにもわからないという状況はどうにかして
ほしかった。
地下鉄は、地上の入口に運行状況を掲示しておくべきである。
駅の改札の係員さんに聞いてみると、「動くかどうかわからない」
としか返ってこなかった。
仕方ないので出口に戻ると、駅の構内アナウンスが・・・
「20時30分から運行を再開します」
おお!!!!!
ここでわかったことは、駅の改札の係員さんて、必ずしも最新情報は
持っていないということ。
それでも、降りて確かめるという手法は、有効だと思った。
*20:35現在、15:00の車両がまだ来ていない・・・
◎20時30分
取り敢えず、駅構内で待つこと20分ぐらい。
歩き疲れたので丁度良い休憩時間。
20時45分ぐらいに地下鉄はやってきました。
地下鉄の発着の案内表示が15:05分になっていたのが印象的。
15:05に来るはずの車両が、20:45に到着。
地下鉄は、当初25Km/hで走り始め、次に50Km/hに、
最後に通常速度でと、徐々にスピードアップしていた。
それを都度車内にアナウンスしていた。
アナウンスも含め、そういう運用がマニュアル化されているのだろうか?
ここで地下鉄に乗れたのは非常にラッキー。
そのまま、大江戸線で門前仲町まで移動。
月島から東雲まで歩くという選択肢(距離的には最短)もあったが、
門前仲町からバスが出ているに違いないと
半ば思い込みで門前仲町で下車。
バスが走っているということを初期に認識できたのも、
判断材料としては大きかった。
◎21時すぎ
門前仲町のバス停には人の列。やはりバスは運行しているようだ。
昼から何も食べてなかったので、牛丼屋にでも寄っていこうかと
思いきや、バスが到着。
何も食べずにあわてて乗り込む。
このバスに乗れば、自宅まで運んでくれると思うと、
ちょっとほっとした。
◎21時30分頃
当然ながらバスは満員。乗客は疲労困憊。
運転手さんもちょっとテンパッていました。
豊洲を過ぎた途中の駅で、車いすの方とその介助の方がバスを
待っていました。
「バスは満員」という思い込みからでしょう、運転手さんがどう対応
したら良いのかわからなくなったようで、固まってしまいました。
それを、介助の方は「乗車拒否」だと思ったらしく、
ヒステリックに「こういう時に乗れるのが弱者の権利だ」と言い出す
始末。空気も固まりました。
結論としては、それなりにお客さんも下車した状態だったので、
なんとか乗車頂けましたが。
みんな、イライラしてるし、非日常でちょっと高揚感もあったり、
疲れてたり、思考も固まったりで、普通の判断が普通にできて
いなかったのかもしれない。
無軌道にバスを乗り継いで帰った自分もその一人。(帰れたけど。)
◎22時前
最寄りのバス停を降り、マンションに到着。やっと着いた・・・
いつもはコンビニに寄ってから帰るんだけど、お客さんがいっぱいだな。
あれ?うちのマンション何か様子が変?
1階のロビーで、徹夜を決め込む家族の姿が・・・ え?
想定すべき事態の1つであるにもかかわらず、しかし忘れていたのが、
そう「エレベーター停止」。
ここでまた判断。
エレベーター停止状態で四十数階まで登ってしまうと、容易には
降りられない。
登るなら、籠城覚悟で・・・ということに。
しかも、余震もある。
◎22時
住めないなら住めないで住むところを探さなければならないと思い、
状況確認のために階段を登ることにした。
逆に、住めたら住めたでエレベーター復旧までの間、籠城しなければ
ならないので買出しは必須。
なるほど、それでコンビニに人だかりが・・・と妙に納得。
こんなに商品の無いコンビニをはじめて見た。
弁当、おにぎり、パンあたりは完売。
取り敢えずカップ麺とスナック菓子と缶コーヒーを買い込んだ。
◎22時10分
登山開始。再び体力の無さを痛感。
後から登ってくる家族連れに追いつかれそうになり、気張って登る。
男子たるもの女子供に追い越されては立場が無いなどと、
つまらぬ見栄を張る。
とはいうものの、途中で2回ほどビバーク。缶コーヒーが美味かった。
小一時間かけて登り切ることに成功。
◎23時すぎ
部屋に到着。ドキドキして部屋をチェックするも、あれ?無傷・・・
3.感想
・まずは、自宅の地震耐性が思いの他高いことに驚いた。震度5強では、全く何とも無し。
これが経験を通して認識できたということは、今後何事かが起こった際の目安には
成り得ます。
・万一自宅にいた場合、エレベーター停止状態では逃げる術が無いと認識。
建物の限界が生死の境目。
・職場と同様、比較的低い階の方が被害が多いようでした。
(壁の石膏ボードにヒビが入ったなど。)
・後日、マンションの裏で一部液状化が発生していたことを知りました。
埋立地の宿命でしょうか。
・津波は怖い。表現できない怖さ。
実は、自宅も運河沿いで、海と接している。
湾内の運河にまで津波が来るのかどうかわからないけど、油断はできません。
・後で振り返ると、意外と冷静に判断していないなぁと自覚しました。
後日、エレベーターに乗ってる途中で余震に遭って、危うく閉じ込められそうになりました。
では~><。
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